12月11日(土)放送:「安倍川もちを食べに来た」

「安倍川もちを食べに来た」

安倍川もちが食べたくなった。
安倍川もちが食べたくて、安倍川橋の少し手前にある「石部屋」という店に来た。
駅でも買えたけど、一度お店で、できたてを食べてみたかった。

安倍川もちが食べたくなるのに、理由はない。
強いて言えば、最近、寒くなった。
寒いと、甘いものが恋しくなる。

安倍川もちを食べるのに、安倍川を見ないのもどうだろう、と思った。
お店に入る前に、安倍川にかかる橋のたもとまで行ってみた。

安倍川もちを食べる前に、安倍川を渡らなくていいのだろうか?
昔の人は、川越人足におぶられて安倍川を渡ったらしい。
そもそも昔は歩いて旅する人が多かったわけだし、そりゃお腹も空く。
どれ川を渡る前にひとつもちでも食っておくか、となる気持ちはよくわかる。

安倍川もちを食べる前に、安倍川を歩いて渡ってみることにした。
川の中じゃないですよ、橋の上です。
自転車で来ていたけど、降りて、歩くことにした。
だって昔の人は、自転車なんてなかったんだから。

橋の途中で立ち止まって、川を見下ろす。
昔はこの川に、どのくらいの水が流れていたのだろう。
今はほとんど河原だが、細い流れの中に魚の群れが見えた。鮎だろうか。

橋を渡りきって振り返ると、びっくりするほど見事な富士山が見えた。
最近、寒いから、富士山がとてもきれいに見える。
そのまま、また、橋を渡って戻ってきた。

ようやく、石部屋に入る。
安倍川橋を歩いて往復したから、いい具合に、お腹も空いている。
店の中には小上がりがある。江戸時代の旅情を感じさせる。
ぼく以外に、昼休みのサラリーマンが数人いる。

安倍川もちを頼もうとして、
ふと隣に「からみもち」というメニューが有ることに気づく。
このお店では、大根おろしと醤油ではなく、わさび醤油で食べるらしい。

目の前で安倍川もちを作ってくれるご主人は、
びっくりするほど安倍川もちが似合う。
スキンヘッドでコワモテだけど
この人が作るならさぞおいしかろう、と思ってしまう。

そんなことをぼーっと考えていたら
「ご注文は?」と聞かれて、言葉に詰まる。
とっさに「両方ください」と言ってしまった。
もちは、注文があってから、手でちぎるらしい。

小上がりに腰掛けて待つこと数分。
お盆に乗って運ばれてきたのは、ぽってりとしたあんこ餅と、きなこ餅。
きなこの方は、白砂糖がかかっていて、なんだか上品だ。
からみもちは、つきたての柔らかそうなもちが、お湯の中で揺れている。

ふわふわのもちを口に入れる。すると、ご主人に聞きたいことが次々と浮かんできた。
きなこ、あんこ、からみ、どの順番で食べるのが正解なのでしょうか?
安倍川もちとからみもち、ご主人が好きなのは、どっちですか?
白いお砂糖はいつから添えてあるのですか?
江戸時代には、お殿様も庶民も、同じ安倍川もちを食べていたのですか?
有名人のサインがいっぱいあるけど、ご主人のお気に入りはどれですか?
ご主人のお父さんもおじいさんも、安倍川もちを作っていたんですか?
どうして「石部屋」という名前なんですか?
昔の安倍川は、今よりたくさん水が流れていたんですか?

でも、聞けなかった。ひとつも聞けなかった。
もじもじしているうちに、あっという間に食べ終わってしまった。
もちがおいしすぎた。

ですから皆さん、
安倍川もちを食べに行って、ぼくの代わりに質問してきてくれませんか?
そして、ご主人の答えを教えてください。どうか、よろしくお願いします。


聴き直し

当日の放送は以下You Tubeまたはradkoタイムフリーから聴くことができます。

今回の戯曲を朗読してくれているのはSPAC-静岡県舞台芸術センターの俳優・牧山祐大さん。安倍川もちへの思いがあふれて何も質問できない不器用な主人公を、ちょっととぼけた味わいで演じてくれました。

Ⓒ加藤孝

今回の舞台

石部屋(せきべや)

住所:静岡市葵区弥勒2-5-24
営業時間:朝9時〜夕方4時、売り切れ次第閉店
定休日:木曜、祝日の場合は前日休み

石部屋の入り口。

安倍川もちは全国的に知られる静岡名物。本来はつきたてのお餅にきなこをまぶしたものに、白砂糖をかけたものを安倍川もちと呼んでいました。現在ではあんこをまぶしたお餅とあわせて二種類がセットにしたものが一般的です。

その歴史は古く、『東海道中膝栗毛』にも当時の呼び方「五文どり」として登場します。昔は東海道を歩いて旅していたので、旅人たちは途中の茶店などで腹持ちの良いお餅を食べることで、体力を蓄えていました。またお餅は古来から神聖な食べ物とされ、厄除けや旅のお守りのような意味もあったそうです。

石部屋の店内。写真の小上がりの手前には、土間に床几のある茶店スタイル。壁には様々な時代の大物有名人たちのサインと一言コメントが並ぶ。

江戸時代から明治初期にかけて、街道沿いに安倍川餅やさんが何軒もありましたが、その中で今でも唯一残っているのが石部屋さんです。

「石部屋(せきべや)」は創業1804年(文化元年)、現存する安倍川もち専門店の中で最も古いお店。200年以上前から安倍川手前の街道沿いにあり、昔ながらの製法を守り続けています。

戯曲にも登場したとおり、わさび醤油で食べる「からみもち」も人気。甘いものが得意でない人に喜ばれているのはもちろん、両方頼んで、甘い味と辛い味を交互に楽しむ人も多いそう。

左の皿が「安倍川もち」、右がワサビ醤油を添えた「からみもち」。

上演のコツ

石部屋を訪れて、おもちを注文してから、ご主人に質問をしてみてください。今回、戯曲でお願いしている質問以外に、自分で考えた質問でもOKです。そしてご主人の答えをSNSで教えてください。

現在のご主人は、十五代目となる長田満さん。見た目はちょっと迫力がありますが、話しかけると、とっても気さく。お店が忙しい時でなければ、いろいろなお話を聞かせてくれますよ。できれば戯曲の主人公と同じように安倍川橋を歩いて渡ってみると、安倍川もちがよりおいしく味わえると思います。

安倍川橋の上から見下ろした川。

かつては防衛上の理由から橋を架けることが厳重に禁じられていた安倍川。前出の『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんも、川越人足におぶわれて安倍川を渡っています。渡し賃は川の深さによって金額が違う仕組みで、弥次さん喜多さんを運んだ人足がわざと深いところを通り、元いた岸に戻る時は浅瀬をやすやすと歩いて帰る様子が面白おかしく書かれています。

いま私たちが見る安倍川は、灰色の河原が一面に広がる水の少ない川ですが、当時と比べて水量が減ったわけではないようで、江戸時代の浮世絵にも、しっかりと河原が描きこまれています。といっても地表には見えていないだけで、実は静岡市の地下には安倍川の豊かな伏流水が満ち、私たちの日常を支える水道水や、酒造りに活かされていることは、10月の「静岡の水」特集で取り上げた通りです。

歌川広重 東海道五拾三次『府中 安部川』

ちなみに安倍川橋の前身である「安水橋」は、川越人足が廃止された後、地元の名士である宮崎総五という人が自費で建設したものだったそうです。当初は渡船場を設け、富士川や天竜川から船頭を雇って、失業した人足たちに漕法を習わせたそうですが、上達せず、諦めて橋を架けたのだとか。

普段は何気なく通り過ぎる橋も、数え切れないほどの人たちの苦労や悲願の積み重ねからようやく生まれたものなのですね。

上演して(やって)みたよ! で、どうすればいいの?

きょうの演劇では「こんなふうにやってみたよ!」という体験談や、戯曲の感想を募集しています。ラジオネームと、やってみた人は写真を添えてTwitterInstagramで投稿してください。

もちろん、戯曲の感想も大歓迎です。安倍川もちとからみもちの写真や、安倍川の景色の写真を投稿してくれるのも嬉しいです。

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次回予告

次回はとろろ汁でも有名な丸子の宿を舞台とした「丸子のひみつは蜜の味」です。どうぞお楽しみに。

 

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