10月23日(土)放送:「静岡の水をめぐるラジオツアー」

「静岡の水をめぐるラジオツアー」

本日は、静岡の水をめぐるラジオツアーにご参加いただき、ありがとうございます。これは耳で聴き、心で旅するツアーです。どなたもラジオの前に座ったままで、参加できます。ラジオが終わった後で現地に出かければ、一粒で二度おいしいツアー。今日は三つの神社をめぐりながら、安倍川の足跡をたどります。では、ゆるゆると出発しましょう。

最初に訪れるのは、静岡市葵区呉服町にある静岡天満宮。学問の神様として有名ですが、かつては川中天神と呼ばれていました。いにしえの頃、安倍川は賤機山のふもとでいくつもの流れに分かれ、現在のまちの至るところを自由気ままに流れていました。川はたびたび氾濫し、水害がひとびとを苦しめました。そんな安倍川の中州にあった、洪水にもビクともしない立派な岩が信仰を集め、いつしか神社として祀られるようになったとか。手を合わせ、古代のひとびとが見ていた風景を想像してみましょう。

天満宮を後にして、中町の交差点から安倍街道を北上します。赤い大きな看板の鰻屋を目印に、片羽町の交差点を右に入り、静岡浅間神社に立ち寄りましょう。境内を縁取るお堀の水が、南から北へと流れているのに気づいたでしょうか。これは、江戸時代に安倍川から駿府のまちに引き込まれた用水路の名残です。

水の流れを遡るように、鰻屋のある交差点まで引き返し、安倍街道を賤機山に沿って進みます。10分ほどで、右手に小高い丘と鳥居が見えてきます。井宮神社(いのみやじんじゃ)、別名・妙見山(みょうけんさん)。見上げるような大木が、境内に心地よい木陰をつくっています。

安倍川の洪水から村を守るため、この辺りには八百年以上昔から、堤防が築かれていたそうです。土手には水門が設けられ、人々の生活に必要な水を安倍川から引き入れていました。井宮神社はこの堤防の根元に祀られた、水の神様です。

鳥居の外に出ると、約4キロにわたる「薩摩土手(さつまどて)」が始まります。徳川家康が薩摩藩に命じて造らせたとされる堤防です。家康は大規模な治水工事で安倍川の流れを整え、こんにちに繋がる駿府のまちを誕生させました。

現代の薩摩土手は、自転車やランナーがのんびりと行き交う遊歩道です。私たちものんびり歩いていきます。小学校の脇に水門があり、水鳥が羽づくろいをしています。村を洪水から守ったという川除地蔵(かわよけじぞう)を過ぎ、だんだんと広くなる水路を横目に進んでいくと、突然、空が広くなります。ツアーの終着点、安倍川です。

広い広い河川敷は、今はスポーツ広場になっています。安倍川の水の流れも、ひとびとを生かし時に命を奪ってきた長い歴史も、サッカー少年たちの歓声に遮られて、なんだかひどく遠く感じます。でもこの平和すぎるほど平和な風景は、水をおそれ、感謝し、なんとか共存しようとしてきた人たちの、願いそのものだったのかもしれません。

ツアーはこれにて終了です。たくさん歩きましたから、うちに帰ったらお水をたっぷり飲んで、ゆっくり休んでくださいね。またあなたのお好きなときに、ツアーにご参加ください。安倍川と共に、いつでもお待ちしています。


聴き直し

当日の放送は以下You Tubeまたはradkoタイムフリーから聴くことができます。

今月(2021年10月)の戯曲を朗読してくれているのはSPAC-静岡県舞台芸術センターの俳優・小長谷勝彦さん。静岡のまちのどこかにあるかもしれない、建物は存在しない、ふしぎな旅デスク。そこに所属する、姿は見えない・声しか聴こえないツアーガイドといった独特の趣を醸し出してくれました。

今回の舞台

今回のテーマは時を超え、静岡のまちを流れてきた安倍川。戯曲を読んでいただけば分かるように、安倍川は「静岡のまちを流れてきた」というよりも「静岡のまちをつくってきた」と言ったほうが正しいでしょう。

現在の静岡のまちの大部分は、かつて海の下でした。駿河湾の入り江だったのです。そこに安倍川の運んだ土砂が少しずつ堆積して、長い時間をかけて静岡平野が生まれました。そしてその上に人々が暮らし始め、やがて、今では登呂遺跡として知られる弥生時代の集落や、今川義元や徳川家康による駿府の城下町が形づくられていきました。

人間は水のそばに住み着きます。安倍川は人々の暮らしをうるおし、こんにちも静岡の名産として知られるわさび、お茶といった産業を生み出す一方で、暴れ川として人々の生活を脅かす存在でもありました。静岡天満宮の起源である「川中天神」は、その流れの中にあった大岩を祀った場所。安倍川に対する太古のひとびとの畏れと祈りから生まれた神社だったのですね。

こうした安倍川に対して大々的な治水工事を行ったのが、徳川家康でした。まず土手を築いて城下町を川の氾濫から守るとともに、その流路を変えて、隣を流れていた藁科川と合流させました。そして土手に水門を設け、安倍川から城下町へ生活用水を引き入れる用水路を造らせました。こうした取り組みが現在の静岡のまちに繋がる駿府の城下町の礎を築き、のちに江戸城下のまちづくりにも活かされたと伝えられています。

戯曲中に登場する「薩摩土手」は、家康の行った大規模な土木工事の代表例です。「霞堤(かすみてい)」「雁行堤(がんこうてい)」などといい、いくつもの枝状の堤防で強い流れを受け流す工法です。当時は「駿府御囲堤(すんぷおかこい)」と呼ばれ、駿府のまちを守る大切な存在でした(それでもたびたび安倍川の流れは土手を切り、まちを襲いました)。呼称からも分かる通り、一般的には「家康が島津藩に命じて造らせた」とされています。ですが諸説あり、実は正確なことは分かっていないそうです。

現在の薩摩土手は空の広い、とても気持ちのいい散歩道です。皆さんもぜひ、井宮神社から安倍川の河川敷まで土手の上を歩いて、昔のひとびとが見ていた風景を想像してみてください。

■参考文献
・芝 雅房『静岡水物語』(静岡新聞社、2020年)
・冨山 昭、中村 羊一郎『安倍川 その風土と文化』(静岡新聞社、1980年)
・静岡市井宮町町内会『井宮町誌』(井宮町町内会、2003)
・朝比奈 清『さつま通り―薩摩土手の築堤とその変遷』(自費出版、1978年)

■参考資料
しずおか みんなの しぜんたんけんてちょう(静岡市環境局環境創造課)
いのみや発見マップ(静岡市立井宮小学校)
ほか

上演のコツ

まずは音声を聴きながら、ツアーしているつもりになって、風景を思い浮かべてみてください。

このルート、もちろん実際に歩くこともできます。現地を歩くと(当然ながら)楽しい発見がたくさんあります。戯曲の中に登場するルートで約1時間、お参りや休憩を入れても2時間ほどで歩けると思います。お天気のいい日は薩摩土手のお散歩、最高ですよ。

上演して(やって)みたよ! で、どうすればいいの?

きょうの演劇では「こんなふうにやってみたよ!」という体験談や、戯曲の感想を募集しています。ラジオネームと、やってみた人は写真を添えてTwitterInstagramで投稿してください。どんな風景を想像したか、ぜひ教えてくださいね。

SNSに投稿する際はハッシュタグ「#きょうの演劇」を添えてください。「きょうの」はひらがな、「演劇」は漢字です。メール kyonoengeki☆gmail.com(☆を@に変えてください)またはフォーム でも受け付けています。

お送りいただいた体験談は、ラジオまたは『きょうの演劇』公式ウェブサイトまたはSNSで紹介させていただきます。

次回予告

10月は「静岡の水」をテーマにお送りしてきたきょうの演劇ですが、11月は静岡市の中山間地域「オクシズ」を特集します。そこで次回10月30日(土)は、オクシズマガジン編集長・冨田和政さんをゲストにお迎えして、オクシズとは何か、その特徴や魅力をご紹介いただきます。どうぞお楽しみに。

また、きょうの演劇では皆さんの考えた戯曲も募集しています。選ばれた作品はラジオで放送されますので、詳細をご確認の上、ぜひふるってご応募ください。

 

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