11月13日(土)放送:「チキドンがやってきた」

「チキドンがやってきた」

(チキドンのお囃子の音フェードイン。徐々にフェードアウト)

あなたはいま、裸です。一糸まとわぬ、裸です。ここは、山の中の温泉宿。ひんやりと冷たい空気が肌を刺します。ふと足元に、ほのかなぬくもり。熱い温泉に、今まさにつま先をつけるところ。ふくらはぎ、腰、肩まで、ゆっくりと身を沈めます。

…はあああああ。
この、ぬくもり。肌にピリッと効いて、ツーンと骨の髄までこたえるような。それでも我慢してジーッと肩まで浸かっていると、体の奥からぶるっと震えが来て、今度は温かさが、背筋からじわじわ染み込んでくる。

茜色に、ゴールデンイエロー。輝くばかりに燃え上がる山が、しん、と静かな冷気に包まれて、天狗にでも出くわしそうな山の奥。岩山のあちこちから噴き出す熱いお湯が細い滝になって岩肌を伝い、やがて川になって、赤い橋の下を流れていきます。ザアザア、ザアザアとお湯の川の流れる音だけが耳に届く、ここは梅ヶ島温泉郷。秘境とはいえ歴史ある湯治場、脱衣所で誰ともすれ違わず、湯船を独り占めできたは奇跡。

…チッキチキチキ、チキドンドン、チキドン、チキドン、チキドンドン…

おや。うっすらとしか見えない湯けむりの向こうから、何やら愉快なお囃子が聞こえてきます。姿は湯気の向こうで見えないが、シャンシャン、シャラシャラ、シャララララ。鈴の音も入り混じり、どうやら何人かいる様子。

…チッキチキチキ、チキドンドン、チキドン、チキドン、チキドンドン。
チッキチキチキ、チキドンドン、チキドン、チキドン、チキドンドン。

色とりどりの着物を身にまとい、こっけいなお面をつけた、あやしいような、尊いような、ふしぎな人たち。これはもしや、この土地に伝わる「チキドン」。初午の祭りに、家々の門(かど)を回って舞を舞い、鈴の音と踊りで隅々まで清めると聞く。おんなたちは笑い、子どもたちは泣く。なんでも神の遣いらしいが、初午にはまだ早いし、温泉にこんな幻が現れるとは、さてはのぼせたか。

思わず、くらっと気が遠くなって倒れかけた瞬間、湯けむりの向こうからぬいと差し出された手が、あなたの手を握ってぐいと引き起こす。ハッと握り返すと、もう誰もいない。チキドンのお囃子も、気配もない。その代わり、あなたの手に握られていたもの。それは、本わさび。舌にピリッと効いて、ツーンと鼻から頭の天辺まで抜けるような、その薫りに我に返れば、温泉も紅葉もいつの間にか消え失せて、そこはラジオの前。

冷たく清らかな水が育てたわさびは、山の神からの贈り物。けれどそれを自然の中から取り出すのは、ひとの営み。山に住み、荒ぶる自然を慰め、悦ばせるひとたちがいるから、川下のまちの暮らしもまた守られている。山の暮らしに思いを馳せつつ、チキドンの置き土産を、さ、ご賞味あれ。


聴き直し

当日の放送は以下You Tubeまたはradkoタイムフリーから聴くことができます。

今月(2021年11月)の戯曲を朗読してくれているのはSPAC-静岡県舞台芸術センターの俳優・本多麻紀さん。温泉の湯けむり、チキドン、手の中に残されたわさびとめまぐるしく展開するストーリーをユーモアたっぷりに読み上げてくれました。

今回の舞台

今月のテーマは、オクシズと呼ばれる静岡市の中山間地域。静岡市の面積の80%を占めるエリアでありながら、人口は市の住民の約5%に過ぎません。ゆったりとした時間が流れ、昔ながらの生業や生活、そして神楽をはじめとする独特の文化が今も生きています。

オクシズとひとことで言っても、その中には立地も個性も異なる、複数の地域が含まれています。安倍川や藁科川、大井川、興津川など、異なる川の流域にさまざまな集落が点在しているのです。

>>オクシズ(静岡市)

今回の舞台となったエリアは、安倍川の源流に近く、温泉地としても有名な「梅ヶ島」。

温泉から車で10分ほど南下した梅ヶ島新田では、古くから伝わる神楽が継承されています。神楽は、地域の神社のお祭り「初午祭(はつうまさい)」で奉納されます。梅ヶ島の人たちは「正月に帰ってこなくても初午だけは戻ってこい」と言うほど、この祭りを大切にしているそうです。

「チキドン」はもともと祭りの夜に、地元の人たちが楽しむ余興で、地元の青年会メンバーが披露する舞台芸でした。ですが、いつの頃からか家々を回って門付け(かどづけ)するようになりました。

「チッキチキチキ、チキドンドン、チキドン、チキドン、チキドンドン」という独特な拍子で村中へ繰り出すチキドンは、地域の人たちに愛されているのはもちろん、外から梅ヶ島を訪れる人にもファンが多いようです。

今回お話を聞いたのは・・・

今回は梅ヶ島の神楽やチキドンの舞手でもある、わさび農家・杉山農園さんにお話を聞きました。温泉、チキドン、わさびと、梅ヶ島の個性をぎゅっと詰め込んだ戯曲です。杉山さんが『梅ヶ島は水源地。ここに人が住むことによって山の環境が守られる。山が守られることで、水が安定的に供給でき、災害などから里の暮らしも守られている』とお話していたのが印象的でした。

まちに住んでいる私たちも、わさびを味わいつつ山の暮らしを想像してみたいと思いました。

上演のコツ

わさびの生産量も質も日本一といわれる静岡県。ぜひ、チキドンのリズムを口ずさみながら、新鮮な本わさびをすり下ろして食べてみてください!

美味しいわさびは辛いだけではなく、甘みも感じられるそうです。たとえば杉山農園さんには「焼酎にすり下ろした生わさびを加える」「バニラアイスに生わさびを添える」といった食べ方を教えてもらいました。他にも、これまでわさびと組み合わせたことのない食材と一緒に食べてみたり。初めての食べ方にぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

上演して(やって)みたよ! で、どうすればいいの?

きょうの演劇では「こんなふうにやってみたよ!」という体験談や、戯曲の感想を募集しています。ラジオネームと、やってみた人は写真を添えてTwitterInstagramで投稿してください。どんな風景を想像したか、ぜひ教えてくださいね。

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お送りいただいた体験談は、ラジオまたは『きょうの演劇』公式ウェブサイトまたはSNSで紹介させていただきます。

次回予告

次回11月20日(土)は、大井川上流は南アルプスの麓・井川を舞台に、伝説の力持ち「てしゃまんく」を描いた戯曲をお送りします。どうぞお楽しみに。

また、きょうの演劇では皆さんの考えた戯曲も募集しています。選ばれた作品はラジオで放送されますので、詳細をご確認の上、ぜひふるってご応募ください。

 

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