11月20日(土)放送:「てしゃまんくの伝説」

「てしゃまんくの伝説」

てしゃまんくは小柄な男だ。力持ちといえば、たいていの人が、熊のような大男を想像する。ところが、てしゃまんくはどちらかといえば、ひらりと軽やかに跳ねる鹿に似ている。物腰はやわらかく、目はぎらりと光ってはいるが、優しい。

大井川上流の一番奥にある、井川という村。それが、てしゃまんくの育ったところだ。てしゃまんくが、自分の体と同じくらいある大きなかごを背負って、神社の門前町を歩いていく。その姿を見た誰も、この男が井川いちの力自慢とは気がつかない。だがその日のあべの市では、てしゃまんくが先月のおついたちの帰りに、おせんげんさんの石鳥居を一人で建ててしまった、という噂で持ちきりだった。まちの人たちが数人がかりでも動かせなかった石の柱を、山から来ていたてしゃまんくが、ひとりで持ち上げてしまったという。

てしゃまんくは、足も速い。日本海側の富山から太平洋側の静岡まで、山の中を何日も走る日本一の駆け比べに出れば、てしゃまんくは山越え谷越え、いつだって誰より早く駆け抜けた。他のみんなは身軽なのに、ひとりだけ重い荷物を背負ったまま、走ることもあった。途中で捨てられた猫を見つけ、拾ってきたこともある。

てしゃまんくは、小さい頃から強くなりたかった。親の山仕事を手伝い、重いカゴを背負って、何度も山道を行き来した。井川のおっちゃんたちは皆、力が強くて足が速い。てしゃまんくも早く、そんなおっちゃんたちのようになりたかった。

てしゃまんくにとって、山の中で起こっていることは、目を閉じていても分かる。どこかで草を燃やしている匂いがする。いま、向こうの谷で鹿が鳴いた。どこかの峰で、岩の崩れる音がする。昔から、山で暮らす人たちは皆そういうことが分かった。困っているときは、助け合うのがあたりまえだった。

さて、まちに生きる私たちの中にも、小さなてしゃまんくが眠っている。それを呼び起こす一番の方法は、ひとりで山を歩くことだ。

井川に行くのが一番いいが、近所の小さな山でも構わない。携帯電話は電源を切って、カバンの底にしまっておこう。山を歩きながら、ときどき立ち止まって目を閉じる。そうして、一番遠くで聴こえる音を探す。鼻から深く息を吸って、空気の中に交じるいろいろな匂いを感じる。肌に触れる空気の冷たさ、土を踏みしめる足の裏の感覚。五感すべてを使って、できる限り山と一体になる。あなたは山になって、心の中のてしゃまんくを、そこで自由に駆け回らせよう。山を降りて日常に帰ってきた時、自分の心が前より少しだけしなやかに、頼もしく感じられるはずだ。

てしゃまんくが建てたという伝説の石鳥居は、今でも少しだけ左に傾いている。実際のてしゃまんくは力持ちというより、賢く、山の暮らしの知恵に富んだ人であったらしい。奇跡は魔法ではなく、きっと誰かにとってあたりまえの日常から生まれるのだ。


聴き直し

当日の放送は以下You Tubeまたはradkoタイムフリーから聴くことができます。

今月(2021年11月)の戯曲を朗読してくれているのはSPAC-静岡県舞台芸術センターの俳優・本多麻紀さん。古の過去から時代を超えて現代へと続く伝説を、はつらつと語りあげてくれました。

今回の舞台

今月のテーマは、オクシズと呼ばれる静岡市の中山間地域。静岡市の面積の80%を占めるエリアでありながら、人口は市の住民の約5%に過ぎません。ゆったりとした時間が流れ、昔ながらの生業や生活、そして神楽をはじめとする独特の文化が今も生きています。

オクシズとひとことで言っても、その中には立地も個性も異なる、複数の地域が含まれています。安倍川や藁科川、大井川、興津川など、異なる川の流域にさまざまな集落が点在しているのです。

>>オクシズ(静岡市)

今回の舞台となったエリアは、大井川の上流、静岡市の最北端・最奥に位置する南アルプスの麓「井川(いかわ)」。この季節は特に紅葉が美しく、井川湖にかかる吊橋や湖渡船など絶景も楽しめます。

また標高が高く、茶栽培に適した霧の発生しやすい土地柄なので、緑茶や紅茶の名産地でもあります。また近年は、井川でしか栽培されていない在来作物(その地域で代々受け継がれてきた昔ながらの野菜や作物)が注目を集めています。

望月将悟さん(後述)が育ったあたりの茶畑。

今回お話を聞いたのは・・・

今回は井川に伝わる伝説の力持ち「てしゃまんく」を主人公にした戯曲。いっぷう変わった名前の響きも、耳に残りますよね。

ですが今回の戯曲には、もうひとりモデルがいます。それが、井川出身の望月将悟さん。富山湾から駿河湾まで、アルプス山脈を8日間で走り切る「トランス・ジャパン・アルプスレース」。「日本一過酷な山岳レース」といわれるこのレースを4連覇した上、4日間23時間52分という大会新記録でゴール。最終的には大会の規定よりも厳しい「無補給」というハンデを自ら課して出場した、まさに「現代のてしゃまんく」のような超人的な人です。普段は、静岡市消防局の消防士で、山岳救助隊員として働いています。

左から2番目が望月将悟さん。その他は左からプロジェクトメンバーの石神、井上、柚木。

この戯曲では、井川に伝わるてしゃまんくの伝説に、現代のてしゃまんく・望月さんの物語をオーバーラップさせてみました。具体的には、戯曲の中盤に出てくる「てしゃまんくは足も速い。」という部分より後は、望月さんのお話(実話!)です。おかげで、てしゃまんくや望月さんを育んだ井川の環境を、より具体的に描けたのではないか、と思います。

井川の集落、鳥の目線から。

そして「ひとりで山を歩く」という指令は、望月さんが今でも「夕方から朝まで(!)山をひとりで歩く」という時間を大切にしている、というお話から生まれました。日々の仕事、まちの暮らし、SNSなど便利になった分だけノイズも増したコミュニケーション……そういったものから離れて、自分で物事を判断する軸を取り戻すために、行っているそうです。

もちろん一般の人には、一晩中、山を歩くのはおすすめできません。ですが日中、携帯電話の電源を切って、ひとりで山を歩くだけでも、きっと望月さんのトレーニング(もしくは「リトリート」)を追体験できるはずです。

さらに興味を持った方は、井川を訪れてみてくれると嬉しいです。望月さん曰く「井川に行ったら、村人に話しかけて。たぶん返答が面白いから」とのこと。立地上、普段からあまり人の出入りの多くない集落ですから、見慣れない人が歩いているのは、地元の人にとってそわそわするもの。ぜひ、自分の方から気さくな井川の人たちに挨拶してみましょう。

上演のコツ

自分が五感を研ぎ澄ませるためにひとりで歩きたい山を教えてください。井川の山はもちろん、家の裏山など、身近な山、小さな山でもOKです。

そして、ぜひ実際に携帯電話の電源を切って、山を歩いてみてください。ポイントは「自分がてしゃまんくになりきる」のではなくて、自分は山になる(山と一体になる)、というところです。

たとえばこちらは、静岡浅間神社の後ろに連なる賤機山。標高171mと特別な装備がなくても登りやすい山で、街並みを一望できる

自分がてしゃまんくになったつもりで山をいきなり歩いたり走ったりすると、怪我をしかねないので危険ですし、ちょっと照れちゃいませんか? あくまで山になったつもりで悠々と構え、そこで、心の中の小さなてしゃまんくを自由に遊ばせる、というイメージを持ってみてください。

上演して(やって)みたよ! で、どうすればいいの?

きょうの演劇では「こんなふうにやってみたよ!」という体験談や、戯曲の感想を募集しています。ラジオネームと、やってみた人は写真を添えてTwitterInstagramで投稿してください。

「実際に山を歩いてみたよ」という報告は、山を降りてからでいいので、ぜひSNSで教えてください。もちろん、戯曲の感想も大歓迎です。井川に行ったことのある人は、井川の写真や好きな場所、体験談などを投稿してくれるのも嬉しいです。

SNSに投稿する際はハッシュタグ「#きょうの演劇」を添えてください。「きょうの」はひらがな、「演劇」は漢字です。メール kyonoengeki☆gmail.com(☆を@に変えてください)またはフォーム でも受け付けています。

お送りいただいた体験談は、ラジオまたは『きょうの演劇』公式ウェブサイトまたはSNSで紹介させていただきます。

次回予告

次回11月27日(土)は、てしゃまんくがひとりで石鳥居を建てたという逸話のある静岡浅間神社、そして、その門前町である静岡浅間通り商店街にまつわる戯曲をお送りします。静岡浅間通り商店街は、昔から、オクシズとまちとが交差する場所でもあります。どうぞお楽しみに。

また、きょうの演劇では皆さんの考えた戯曲も募集しています。選ばれた作品はラジオで放送されますので、詳細をご確認の上、ぜひふるってご応募ください。

 

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